情報交換を促す組織を

2009/12/14 - コメントする

進む経営革新

知識の創造

<顧客のデータを社内で共有>

研究・開発の生産性を上げるための一つの方法として、設計図を一からかき上げるのではなく、既存の設計図をできるだけ利用することが重要だといわれる。既存の設計図は、先人の知識を凝縮した成果だ。社内に蓄積された先人の知識を活用することで、新しく追加する必要が研究・開発に資源を集中的につぎ込むことができ、研究・開発の生産性を上げることが可能になるのだ。

 このような観点に着目して提唱された経営手法が知識ベースの経営(ナレッジマネジメント)だ。
 知識を重視した経営は、企業の競争力を高める上で重要になっている。例えば、千葉県のゴルフ場では、来場した顧客の写真や性格、食事の好みまで顧客カードに記入している。この記録を活用することで、キャディはその日に同伴する顧客に関する知識を事前に得られるので、初対面でも名前を呼んであいさつできるのだ。
 このゴルフ場はこうした顧客にかかわる知識を社内で共有し、活用することで顧客の満足度を高め、多くの固定客の獲得に成功した。このような知識ベースの経営を実行することで、不況下でも安定して経営できるようになった。

<社外からも参考事例を>

企業内での知識の共有は他にも利点がある。一つの企業グループ内に、関東販社と関西販社のように同じ活動をする異なる部門がある場合、それぞれのノウハウや知識を共有することで組織の効率性を高めることが可能になる。
 例えば、富士通のソフトサービス部門では、世界中に展開するコンサルタントSE(システムエンジニア)のノウハウをデータベースに蓄積し、グループのネットワークを通じて知識を共有している。コンサルタントは商談の前に、全世界の仲間のコンサルタントがネットワークに登録した類似の商談事例を自分のパソコンで引き出し、参考にすることができる。こうした情報は、社外からもパソコン通信で入手できる。

 こうしたノウハウの共有で、顧客に対して最先端の価値あるサービスを提供することができるのだ。

<創造性を育てる組織作り>

 知識には文書化された知識(形式知)と、人間の頭の中にある知識(暗黙知)がある。優れた製品や新しい市場に関するアイデアの創出は知識の創造でもあり、これには暗黙知の関与が必要だ。ただ、どんなに優秀な人材も個室にこもっていては新たな知識の創造が期待できない。
 新しい知識は文書を読み、ほかの人と意見を交換することで生まれる。外部の様々な知識と自分の知識を融合させることが大事なのだ。つまり、人間の頭の中にある知識を文書にして社内で共有する仕組みや、人と人が交流し、意見を交換することを促す環境を整えた組織を作ることが、知識の創造を促すのだ。
 企業がこのような創造的な組織を構築するには、以下のような点に留意する必要がある。
 
第一に。企業の従業員が進んで知識を創出するようにモチベーション(動機づけ)を高める経営スタイルを確立するべきだろう。企業組織が人間に強制的に知識を創出するよう求めることはできず、従業員の自発的な努力に頼るしかないからだ。第二に、知識は暗黙知や形式知の交換過程で創出されることに注意しなければならない。これを踏まえ、こうした知識交換を促進するような部門や従業員の間での相互連携を進める組織を作ることを念頭に置くことが不可欠だ。(第一勧銀総合研究所)
(日本経済新聞 1999/8/10)

ISO9004:2009においては「トップ経営者は、組織の現在の知識ベースを如何に明らかにし、保護するかに対処しなければならない。トップ経営者は、アカデミックで専門的な機関のような、内的および外的な情報源から組織の現在および将来のニーズを充たすために必要な知識を如何にして獲得するかも考慮しなければならない。」としている。持続的な成功を行う経営では知識の共有は不可欠だ。この記事はこれを理解する上で役立つ内容だ。

グローバリゼーションと日本

2009/12/09 - コメントする

日本@世界

個人の能力 最大限生かす社会を
リスク恐れぬ精神 活性化のカギ
                           船橋 洋一(編集委員)

 情報技術(IT)革命によって世界が見る見るうちに一つになってゆく。グローバリゼーションの大波が世界中に押し寄せ、どの社会もそこから逃れることは出来ない。それによってこれまで想像もできなかったような新世界が生まれつつある。幾重にも立ちはだかっていた様々な壁ーー国籍、国境、コスト、年齢、性別、階層などーーを飛び越えて、個人がインターネットを通じて直接世界とアクセスし、世界とネットワークすることで、新たな表現、取引手段を手にする。それによってアイデアと世界市場に参入する。個人のフロンティアが一気に広がり、時と場合によっては個人の力がこれまでの何乗にも何十乗にもふくらむ。

 米国政府が国連分担金の未払い分をいつまでも支払えないのに、CNNの創設者、テッド・ターナーは十億ドルを国連に寄付すると発表した。マイクロソフトの創設者、ビル・ゲイツの財団は米国政府のパソコンの学校支給をはるかに上回るスピードでパソコンを教室に無料で送っている。個人がとてつもない力を発揮できる時代がやってきた。

  そうなるとこれからは、個々人の個性と特質と能力とやる気がモノを言う。どの国も、国民個々人の力を思う存分発揮させること(エンパワーメント)が重要な政策課題になるだろう。そのために、学校も企業も政府も、社会も経済も政治も、新たな仕組みと運営の方法を作りあげなければならない。

 同時に、急激なグローバリゼーションは、その画一化に対する文化的反動を生み、貧富の格差拡大をもたらし、それに対する貧しい階層と貧しい国の反乱を引き起こす危険性が強い。
 ただ、そのマイナス面を認識し、克服するためにも、世界の他の社会の人々とグローバルに協力していくことが不可欠となる。グローバリゼーションの挑戦にこたえるにはグローバリゼーションを上手に使うことが要請される。

<「画一化」への不安>

今月初め、米国シアトルで開かれた世界貿易機関(WTO)閣僚会議の際の世界のNGOによる反自由貿易包囲網と反グローバリゼーションデモは、21世紀国際政治の前兆であるかも知れない。

 それは、1980年代の「市場原理」至上主義と冷戦後の「歴史の終えん」、さらにはインターネット革命によるドット・コム世界村ビジョンを根底から揺さぶった。市場と民主主義と技術を世界大に押し広げていけば、民族、文化、歴史、地理をめぐる矛盾とかっとうは克服されるはずだとするひところの楽観主義は後退した。

 シアトルの反WTOデモの特色は、グローバリゼーションに対する不安や反発の散乱する多様さだったが、それらを貫く情念は画一化への反乱だったろう。
 遺伝子組み替え食品だろうが、巨大ショッピング・モールだろうが、ハリウッド映画だろうが、画一化というその一点で、それぞれの社会と文化の多様性が削ぎ落とされていくことへの不安が広がっている。自分のかけがえのない労働価値を外国の安い賃金水準まで還元される、つまりは労働をコモディティ(単一商品)へと画一化することに対する反発がある。

 もう一つの大きな問題はこれらの不安を表現する政治的回路が不十分なことだ。
 「情報はグローバル化している。個人はそれによりエンパワーメント化している。自分たちも中に入れてくれ、自分たちの言うことも聞いて欲しいと彼ら(デモ隊)は叫んでいる」

 クリントン大統領のこの発言は重要な点を突いている。この点は、グローバリゼーションに対する最大の批判となっている貧富と所得の格差拡大批判と関係する。
 かってケネディ米大統領は「水かさが増せば、すべてのボートが浮かぶ」との”水かさ哲学”を披露したことがある。経済成長はすべての国民の生活水準を引き上げる、という哲学である。

<情報得て不公平論>

 しかし、いまはコフィー・アナン国連事務総長が言うように、「水かさが増しても浮かぶのはヨットだけ」という傾向が強まっている。景気がよく、世界貿易が盛んでも、所得の高い階層だけが潤い、所得の低い階層は沈んでいく。
 専門家の間では、所得格差はグローバリゼーションよりむしろ情報技術(IT)革命によるとの見方が強い。IT中心経済では所得水準は教育水準にますます連動、比例して決まるためだ。

 それでもどの国もグローバリゼーションの「勝ち組」「負け組」論が早くも政治争点となりつつある。
 それは、中国でも熱気のこもった議論を呼んでいた。この秋、北京で会った胡鞍鋼中国科学院国情研究中心主任研究員は、次のように言った。
 「90年代後半から東の沿岸部と西の内陸部の所得格差が再び広がってきた。それに伴って、勝ち組と負け組がはっきりと出てきた。大学卒の青年、外国企業に就職した人々、個人経営者は勝ち組、失業者、中年・老年、未熟労働者は負け組。国営企業では男性は40代以上、女性では35歳以上は負け組。中国のWTO加盟でこの断絶はさらにひどくなるだろう」
 「沿海と内陸の政治的参画度の不公平も問題だ。よく、毛沢東時代は内陸部への所得移転、再配分をしていたと言われるが、あの時代も所得格差は拡大していた。ただ、毛沢東時代は内陸・貧困地帯の人々は外のことを知らなかった。しかし、いまは彼らもメディアの発達で外のことを知っている。心理的な不公平感が強まっている」

 メディアの発達で、貧困層の不公平感は世界大で増大しているに違いない。

<能力主義の推進を>

ところで、日本。日本はグローバリゼーションの挑戦にどう対処するべきなのか。
グローバリゼーションの波はインターネットの急速な普及で日本をも浸し始めた。それは通信回線コスト、起業コスト、起債コスト、ネットワークコストなどを低下させつつある。
 しかし、日本の論議で欠けているのは、個人の力をどのようにつけるのか、引き出すのかというエンパワーメントの視点だ。日本では政府も企業も各種の再生プランを出すのに忙しいが、この点を十分に考慮に入れていないのではないか。
 エンパワーメントに弾みをつけるには、リスクを取ることを恐れないリスク精神を尊重し、真の能力主義と真の公平を推進しなければならない。しかし、この点、日本は極端な「リスク回避」型社会をつくってきた。それは合意至上主義と仲間外れ恐怖症と合わさり、戦後の政治文化ともビジネス文化ともなった。

 宮沢喜一蔵相はこの秋、グリーンスパン米連邦準備制度理事会議長と会談した際、グリーンスパン議長に「日本の経済の最大の問題は人々のリスク恐怖症だと思う。日本の誇る巨大な貯蓄も、要はこのリスク恐怖症のあらわれではないのか」と指摘された。
 「投資は投機とあえて割り切る、リッチになるのを恥ずかしがらない、そういう日本にならないと」。宮沢氏は私に言ったが、このあたりに日本活性化のカギが潜んでいるのだろう。「骨身を惜しまないこと(painstaking)」から「リスクを取ること(risktaking)」への頭の切り替えだ。

 先の胡鞍鋼氏は「いまの中国には教育革命、知識革命、情報革命の三つが必要だ。これからの時代、「知情権」(情報を知る権利)を国民に与えなければならないからだ」と言った後で、付け加えた。
 「インターネットを国民に与えることで、人々が世界の情報に接し、それを活用することができるようにする。宣伝部門のコントロールを受けない。それが人々の選択を広げるのだ」

 それを聞きながら、これは日本にも当てはまる課題だと私は思った。

 シンガポールで聞いたリー・クアンユー上級相の次の発言にも考えさせられた。
 「日本はレゴ(組み立てがん具)のような国だ。それらは寸分の違いもなく規格化され、あまりにもがっちりした組織をつくってしまう。これからは日本に難しい時代になるだろう。どの社会も個人の力を最大限引き出さなければならない。世界中の才能を使わなければならない。それらがレゴにうまく入るだろうか」

 グローバリゼーションの光と陰を見極め、陰の部分への対応を怠らないようにする、文化的多様性を損なわないように努める、ITをはじめ情報・インターネットの教育水準、職業訓練を向上させる、世界の貧しい国をもっと支援するーーそれらがこれから大きな政策課題になるはずだ。
 しかし、まずは日本の社会の中の個人の力を最大限引き出し、伸ばし、生かす。リスクを恐れない個人に活躍の場を与えることである。それによってグローバリゼーションの大波を泳ぎきらなかればならない。
(朝日新聞 1999/12/29)

日本に関してはいまも同じことが言える。いったいこの十年間何をしてきたのだろうか。道路、ダム、空港、港湾など公共投資に明け暮れた。個人の力を引き出すどころか殺していたのではないか。情報インフラが整ったにもかかわらず、情報技術面で世界をリードするものは何も生まれなかった。画質の良いテレビを作ることや任天堂のテレビゲームができたぐらいだ。どこか間違った路線を走っているように思えてならない。

中国は、インターネット技術を国民に開放したが、またもや制限しはじめた。真の民主化を恐れる国にとっては、インターネットは大きな障害になる。グローバリゼーションによる経済的貢献を享受したが、真の民主化は拒否せざるを得ない国でもある。

基本動作

2009/12/08 - コメントする

経済気象台

宇宙開発事業団が打ち上げた大型ロケット「H2」8号機は、「空中爆破コマンドの送信」という国産ロケット開発史上初の衝撃的な形で幕を閉じた。初歩的なミスで三回も打ち上げが延期され、特別点検をした後での失敗だった。

このところ「技術立国」日本の様子が何やらおかしい。H2ロケット以外にも、茨城県東海村での臨界事故や新幹線での相次いだコンクリート落下事故、高速増殖枦「もんじゅ」でのナトリウム漏れ事故など、巨大プロジェクトでのトラブルが続いている。

「ハインリッヒの法則」というものがある。一つの事故(アクシデント)の背後には二十九の軽微な事故(インシデント)があり、そのまた後ろには三百の異常(イレギュラリティ)があるというのだ。

巨大プロジェクトになればなるほど、マネジメント技術の重要性が増す。「あってはならないこと」だから「あるはずがない」と考えるのでは、見えるものも見えてこない。愚直でも構わないから、トラブルの以後にある兆候を見つめ、一つひとつ解決するという基本動作が大切だ。

資源に乏しい日本は、今後も「技術立国」で生きていかねばならない。そのためには労働の質、つまり、一つひとつの現場の「技術」を高めることが必要である。「モノづくりは世界一」と、質の高さを誇ってきた日本の現場技術だが、このところ技能五輪でもトップの座を明け渡したままだ。今年は金メダル六個と久々に健闘したが、メダル獲得数では台湾、韓国、スイスに次いで四位であった。

技能はモノづくりの現場でしか育たない。当たり前のことが当たり前にできる人、基本動作がきちんとできる人を育てるには、現場教育が何よりも重要だ。再び、技術立国、モノづくり立国をめざすには、現場教育という「基本動作」が不可欠であろう。(雷)
(朝日新聞 夕刊 日付不明だが多分1999年)

かつて、ブレアー元英国首相が経済不況の立て直しのために最も重要な政策何かを説明したときに言ったのは、「教育、教育、そして教育」だった。かたや日本では何の役にも立たない仕事館を莫大な税金を使って建てた。この仕事館は閉鎖される事が決まっているらしいが全くバカバカしいことをしでかしたものだ。天下り先を作るのではなく、技能向上のために民間企業に助成金を支給する制度を作る方がより効果的だ。

”人資源”の有効活用

2009/12/07 - コメントする

経営のヒント

ケー・アソシエイツ代表 小林 裕

自信持たせ、やる気向上

 昔から、経営資源を総称して「ヒト・モノ・カネ」と言ってきた。最近はこれに情報を加えることが多いようだが、情報化時代になっても、人という資源が最も重要であることには変わりはない。情報も金も人が生み出すものだからだ。だが、企業がこの”人資源”を有効に活用しているかというと、はなはだ心もとない。例えば、やる気を失えば半人前以下の仕事しかしない半面、本当にやる気になった時には別人のような力を発揮するのが人間だ。にもかかわらず、この生産性に直結する「やる気」に対してはほとんど手を打っていないのが実情である。

 では、やる気を起こさせるにはどうすればよいのだろうか。それには、次の三つのことに対して手を打たなければならない。

 まず第一は、会社がやろうとしていることや、社員各人の仕事の必要性を十分に理解させることである。「こんな無駄なことをさせられて・・・」と思っていれば、どんな手を打ってもやる気は起きない。必要性をわからせることが、やる気にさせる第一歩なのだ。

 次のポイントは、自分にできると思わせることである。与えられた課題を達成可能と思わせるのだ。必要なことだとわかっていても、自分にはできないと思っていれば、やはり力は入らない。私の経験では、やり方がわからないために、自分にはできないと思い込み、やらないことが実に多い。やる気がないように見える場合、こんなことはわかっているはずだと片付けずに、一度確認することをお勧めする。

 三番目は、自分の存在価値を実感できる体制作りである。このレベルまで到達すれば、人はすごいパワーを発揮する。このためにはまず、社員が自由度を与えられていると感じることが必要だ。こと細かに指示を受けなければ仕事ができないようでは、やる気が起きるはずがない。

 能力や貢献度を正当に評価し、自分の存在価値が認められたと思わせることも重要だ。ところが、この貢献度の正当な評価については大きな誤解があり、企業の活力をそぐ原因となっている。正当な評価が評価の差に応じた処遇をすることだとすると、差をつけることが目的になり、やる気を高めるためという本来の目的を失ってしまう。
 評価が厳し過ぎるため、それにこたえられる一握りの人だけがスポットライトを浴び、過半数の人が敗北感を感じてしまう制度になっているのだ。敗北感を持っていては良い仕事はできない。「成功、不成功は能力よりも心の持ちようで決まる」と言われるが、一番重要なのが自信であり、自信が積極さと前向き姿勢を生み出す。
 自信を持たせ、良い気分で仕事をさせるのが人事部門の役割だ。「成果を出さねば降格するぞ」という脅しだけが過ぎては、多くの人を萎縮させてしまう。成果主義は必要だが、恐怖政治にならないよう心しなければならない。(日本経済新聞 1999/7/26)

ISO9004では、「組織内の人々」と題する章が設けれ多くの事柄が論じられている。「人々の参画と動機づけ」では、「組織は、顧客並びに他の利害関係者に対しての価値の創造と提供に関して人々の責任と活動の貴重さと重要さを彼らが理解するように動機付けを行わねばならない。」としている。小林氏の指摘するところと同じである。

Business

2009/12/05 - コメントする

English Conversation 禁じ手 奥の手

真剣に取り組むもの

Businessという言葉には「商売」や「仕事」以外に多様な意味や用法がありますが、その中には「本気でまじめにやる」というニュアンスが含まれています。
端的な例は”He means business.”(彼は本気だ)や”Let’s talk business.”(まじめに本音で話そう)のような用法です。”He knows his business.”(彼は自分の本分をわきまえている)という言い方もあります。knows one’s businessは「やるべき務めを心得ている」という意味の慣用句ですが、ここにもまじめに物事に取り組むという意味合いがあります。

 ”I had imagined that the problem would be easy to solve,but it was quite a business.”(容易に解決する問題だと思っていたが、やってみると大変なことだった)。このquite a businessは「(予想に反して)困難なこと、厄介やこと」という意味の慣用句です。”I’m afraid it’s quite a business.”(それは大ごとだよ)のようにも使います。本気で対応しないと解決できないというニュアンスが伝わってきます。

 ビジネスとは本来、真剣に取り組むもの、という意味なのでしょう。(谷山 博志)(日本経済新聞 1999/7/26)

ビジネスに携わる者、特に経営者は「本気でまじめにやる」ことが求められる。私利私欲を捨てることだ。”manage”の意味と一緒に覚えていただきたい言葉の一つである。

バブルの傷跡

2009/12/03 - コメントする

大磯小磯

最近有名企業の内部管理にかかわる不祥事が頻発している。とりわけ驚かされるのは、日本を代表する企業のトップの資質である。危機の時にこそ経営トップの資質が露呈する。バブル期を経て、日本の大企業の経営者は変質したのではないか。

1980年代には日本的経営のメリットは、株主持ち合いのためには、株主からの圧力を考慮しなくともよい長期的視野に基づく経営である、と言われた。現在の米国の繁栄と日本の現状をみれば、その主張が誤りであったことは明らかである。日本ではその長期的視野に基づく経営すら行われていないようである。

問題を起こした企業に共通しているのは、考え方が内部の論理だけに従っていると思えることである。外部には哀れにさえ映る釈明は、ロシア海軍の原子力潜水艦沈没事故への対応と似ている。かって日本の軍部も国内には怖いものがなく、内部の論理一筋で突き進んだ。

強力なトップや惰性に反対できず、巨大組織が崩壊に向かって進むのをだれも止められない。バブル期の金融界や不動産、流通・建設業界など、現在存続の危機に瀕している企業はいずれも同一の問題を抱えていた。当時その方向に反対した人々は左遷されているから、跡を継ぐ人材が育っていない。自分を引き立ててくれた先輩には、恩を仇(あだ)で返すような措置は取りにくい。だからこれも内部の論理である。

内部の論理やトップのマイカンパニー意識,公共性の欠如、隠蔽(いんぺい)体質等は、企業は従業員のものという考え方の延長線上にある。伝統ある企業に問題が頻発しているのも、トップが外部から隔離されて、自らの立場や任期中の短期的利益に目を奪われ、外部環境の変化に鈍感なせいだろう。

日本青少年研究所の調査によると「先のことを考えず今をエンジョイする」と答えた日本の高校生は52%で、米国の22%、中国の11%など他国を圧倒しているという。青少年の行動は現代社会の象徴でもある。

著名な企業や人々は、社会の尊敬の対象となるのにふさわしい行動をする責務がある。経営者の真の評価は歴史が下す。無私の精神をもって、今は評価されなくとも地道な努力を続け、歴史が評価してくれればよい。このような長期的視野と哲学を持った経営者が育つ環境を破壊したことが、バブルの最大の傷跡ではないか。
(桃李)(日本経済新聞 日付不明)

バブル経済によって日本人は大きく変わったと思う。ニューヨーク5番街のティファニーで日本人女性がものすごい買い物をしているのをアメリカのテレビで見ていた。帰国してみると、新入社員がポルシェの中古車で通勤しているのには驚いた。あのバブル経済によって日本人の金銭感覚は完全に狂ったように思える。拝金主義がはびこると長期的な視点でものごとを考えることができなくなる。未だにこの傷跡が残っているように思えて仕方がない。

品質管理に真心を

2009/12/03 - コメントする

経済気象台

企業経営において、未知の新技術を開発する姿は勇ましく、ロマンがある。対照的に、品質管理を中心とした生産管理技術を定着させ、改善する活動は静かで地味。しかし、企業を陰で支える大事な力だ。改善活動に終わりはない。

 昨今は、国際的にも品質管理とそのマネジメントに対する評価が厳しい。そこで各企業は、QC活動や品質管理の国際規格「ISO9000」の認証取得を目指している。ただ、認証を取得したからといって、品質の安定的向上を保証するものではない。

 不良品をつくらないことは、品質管理の絶対条件。この製造工程上の能力が乏しいようでは、生産管理そのものが成り立たない。

 完全な品質保持を実現するには、最適な生産設備をそろえ、それらを完全にメンテナンスすることが条件。加えて、完璧な作業環境が存在し、それを実行できる技術を持ったオペレーターが不可欠だ。こうした能力を整えたうえで、ISOなどのマネジメントシステムを導入しないと、意味がない。

 いかなる管理活動も、すべて人間が行っていることを忘れてはいけない。どんな高度な管理システムを導入しても、そこで働く人たちに誠意が無いようでは、絵にかいた餅になりかねない。
 会社に愛着を持った社員が、真心込めて行う生産活動。これが不良品発生ゼロの原点だ。リストラが日常的に行われている企業で、社員の帰属意識が低いことは、想像に難くない。そのような企業では、品質管理の活動にも限界がある。
 
 「誠心誠意、真心込めて」。これがものづくりの原点であり、品質管理システムを支える土台だ。(樹)
(朝日新聞 2009/12/1)

先月11月にISO9004が改正された。ISO9004は、認証取得の対象になる国際規格ではなく、企業のトップ経営者が品質管理の国際規格を屈指して、いかに持続できる成長を行うかについての指針である。新しい国際規格でも「組織内での人々」に関する項目があり、「人々の管理」に強い視点を当てている。社員の参画やモチベーション(動機付け)を高めるには、企業がどのようなことを行うべきかが明記されている。

日本の品質管理は世界的レベルにあったが、派遣社員のような臨時的に雇われた人々による生産現場では本当の品質管理はできないようになって行くと考える。ものづくりだけなら、機械化をさらに進めることで解決できるかもしれないが、サービス業では致命傷になる。社員がサービスを直接顧客に提供するのだから、サービスの品質は社員そのものだからだ。日本的「マニュアル化」を進めると、いっそうサービスの質が低くなる。社員の真心がそのままサービスの質につながることを忘れてはならない。日本人のホスピタリティは、世界でも称賛された時代があった。日本人には本質的にそれを持っているのだから、引き出せばよい。トップ経営者の意識改革がいま求めれている。

世紀末の視点から

2009/12/02 - コメントする

日本経済ー2000年を迎えて

東京大学名誉教授 宇沢弘文

20世紀最後の年を迎え、世界はいま世紀末という表現がそのまま当てはまるような状況に置かれている。もともと世紀末という概念は、イタリアの生んだ偉大な文学者で思想家のダンテが最初に使ったと言われている。そのリベラリズムの政治思想の故に故国フィレンチェを追われ、長い放浪の旅に出ていたダンテが、13世紀末の北イタリアを中心とした欧州の政治的、思想的状況を憂いて「世紀末的」と表現したのである。

 その後、西暦での世紀の終わりはほぼ例外なく、大きな政治的、経済的、社会的、文化的な混乱と変動に見舞われてきた。特に深刻だったのが19世紀末である。同世紀末に起こった政治的、経済的かく乱は学問、芸術をはじめとして社会全般に大きな影響を及ぼした。まさに地殻変動といってもよい変化だった。その波紋が第一次大戦にもつながった。世紀末という言葉はそのまま19世紀末を指すほどだが、20世紀末の政治的、経済的かく乱もまた、19世紀末のそれと比肩できるほどの規模と深刻さを持つと言っても過言ではない。

 20世紀の世紀末的混乱と混迷は、日本の場合特に深刻で、広範な範囲に及び、その社会的、経済的、文化的な変化の規模も大きく、深刻さは明治以来最も厳しいものがある。このまさに世紀末的断層ともいうべき危機的状況に直面し、日本政府の対応はあまりにも退嬰(たいえい)的な弥縫(びほう)策だったのではなかろうか。
 行政官僚は自分たちの組織を守り、自らの地位を保全するためにきゅうきゅうとし、政治家はともすれば民主主義的政治の基本を忘れ、もっぱら局所的、短期的な得失だけを追っているとの印象をぬぐい去ることはできない。国民の多くはいいま、政治と行政に深い不信感を持ち、政党に対して強い嫌悪を感じている。国際的にも、日本の経済、文化、社会への不信感が大きい。

 日本の政治、経済、社会の危機的症候群をこのまま放置すれば、官僚の権勢はますます勢いを増し、日本の国際的孤立はいっそう度合いを強め、子供たちに引き継ぐべき社会はあまりに陰惨で、殺伐としてしまうことを恐れざるを得ない。

 私たちがいま直面しているこの世紀末的現象は逆に、日本の社会、経済の制度的特質を明らかにし、その深層に潜む欠陥と矛盾をあらわにするという結末を生み出している。そして、来るべき21世紀に向け、どのような視点に立って、どのような制度を作るべきかについて、重要な示唆を与えるものとなっている。(朝日新聞 2000/1/3)

日本の官僚や政治家の動きを十年前に明解に批判されていたにもかかわらず、何も変えなかったがゆえに今日がある。「事業仕分け」で見せた官僚のふがいなさ。こんな役人たちに日本を任せていたのかと思うと自分自身が情けなくなった。他方、国立大学への交付金を見直せという結論には同意しがたい。日本の将来を担うのは、優秀な人材である。それを育成する国立大学には財政的支援が必要だ。米国のように個人的に行われる寄付金がないのだから、国が支えることは必須である。

日本の競争力は急低下

2009/12/01 - コメントする

経済気象台

この戦後最大の世界不況は、日本経済を牽引する自動車、家電、産業機械など機械関係企業の国際競争力にどのような影響を与えているのか。日本機械輸出組合では、日米欧アジアの4地域に本社を置く企業の国際競争力を調べているが、08年度の分析によれば日本企業への影響が最も大きく、国際競争力は最下位となった。これは調査を始めた98年以降初である。

国際競争力は企業の短期的な競争力を表す営業利益率と長期的な競争力を表す世界シェアを掛けて求めている。分析対象の16業種世界約300社の売上高は約500兆円でほぼ前年度横ばいであったが、日本企業が3.8%減、米国企業が2.3%減であったのに対してアジア企業は5.9%増、欧州企業は1%増となった。この結果、アジア企業が世界シェアを拡大し、日本企業が減少させた。一方、営業利益率は、米国企業が7.2%、アジア企業が5.7%であるのに対して日本企業は1.7%と極めて低い。この二つが日本企業の国際競争力低下の要因である。

なぜ、日本企業の国際競争力が低下したのか。第一は、日本企業の事業戦略転換の遅れである。日本企業は半導体、パソコン、液晶TV、携帯電話などの製品でことごとくアジア企業に敗れてきた。これらの優位性はアジア企業に移っているのに、勝ち抜く事業戦略を築けなかったこと。第二は、日本の競争力の源泉である自動車が世界不況の打撃を最も強く受けたこと。第三は、好調な新興国市場の開拓に出遅れたことである。

 我々はこの現実をしっかり受け止め、内向きの政策に終始することなく、国際競争力強化のための政策を早急に打ち出す必要がある。(創) 朝日新聞 2009/11/28

ここでも指摘したことがあるが、日本企業がいつまで「白物家電」に執着しているか。このような白物家電には、日本人の知恵、知識と経験を生かすことはできない。もっと高度な技術を必要とする製品に日本人社員を使う必要がある。そのようなことに気づかない日本企業の経営者は失格だとしか言えない。日本人社員を中国に派遣して自動車の販売につかせると発表されたが、欧州企業に比べ遅すぎる。いずれも事業戦略の立て方が間違っていたことを表している。

品質管理に制度疲労

2009/11/30 - コメントする

経営の視点
現場の技能 再構築必要
      編集委員 水野祐司

日本の産業の強みとされる「品質」への信頼を揺るがす事故が相次いでいる。東海村臨界事故、H2ロケット打ち上げ失敗は、現場作業のずさんさや設計・製造面などに潜む問題点を露呈した。
 奥田硯日経連会長(トヨタ自動車会長)は「たるんだ雰囲気が日本の産業界にある」と強い口調で話す。だが、精神論だけでなく、これまでの品質管理が”制度疲労”をきたしていないか、冷静に点検することも必要だ。

 米国生まれの品質管理手法は、大量生産・販売の時代に原点がある。製品不良を出さず、どう生産量を増やすかがテーマだった。従業員の作業内容は現在に比べ単純で、企業は従業員をいかに効率的に動かすかを主眼にしてきた。
 日本の品質管理はそれに対する反省から出発した。TQC(全社的品質管理)、QCサークルなど、現場の自発的な工夫、知恵を大事にする管理手法が日本企業の競争力を強めた。

 ところが、最近の製造現場では設備・機械の自動化、コンピュータ化が急速に進み、設備の運転・補修技術やパソコンを使ったライン稼働状況の診断技術など、従業員は新たにさまざまな技能を求められるようになった。

 ノウハウが研究開発部門など中枢部門に集中して蓄積され、現場からはその製品の開発・製造技術の全体像や、自分が受け持っている作業の重要性が見えなくなる「技術のブラックボックス化」が進んでいる。

 東海村臨界事故で露呈した現場の原子力に対する認識の乏しさは、高度な操業技術が末端まで浸透しない「ブラックボックス化」の表れとも言える。H2ロケット打ち上げ失敗の原因には、エンジン燃焼室か燃料配管の破損の可能性が挙がっている。宇宙開発事業団はまだ究明し終えていない。しかし、確実に言えるのは、技術革新が進めば進むほど、設計、製造、検査などに携わる一人一人がこれまで以上に高度な知識、技術を要求されるということだ。

 「従業員に対する技能の要求が過大な今、従来のTQC、TQM(総合品質経営)の手法は変えていくべきだ」。品質管理の専門家である飯塚悦功東京大学教授はこう指摘する。これまではQCサークルなどを通じち密な改善活動が品質向上につながっていたが、今重要なのは現場の従業員を「一流の技術者」に育てることだ。「従業員を技能レベルによってランク付けし、的確に配置する」(飯塚教授)など、技術を軸にがっちり結びつく現場の体制が必要という。

 日本科学技術連盟はこのほど品質管理を中心とした経営管理技術の表彰制度として、デミング賞以外に二つの賞の新設を決めた。品質の改善が着実に進んでいる企業・団体に対する「TQM奨励賞」と、ざん新な管理手法を表彰する「品質技術革新賞」を来年度から設ける。
 審査が厳しく企業が応募を敬遠しがちなデミング賞とは別に、ハードルを少し下げた賞を設けることによって、幅広い層に品質管理への意識を高めてもらう狙いという。新賞創設の検討チームを率いた元日本品質管理学会会長の久米均中央大学教授は「日本の品質管理の足腰を鍛え直す」と話す。

 日科技連を総本山とする品質管理指導が成果を上げたのは、すでに過去の話だ。「海外生産移転が進み、QCサークル自体を作りにくくなっている」(久米教授)という。新賞の審査法を含め、従来の視点にとらわれないざん新な品質管理の手法が生まれることを期待したい。(日本経済新聞 1999/11/21)

いまアメリカCNN放送でアナウンサーが言っていた。「レクサスが暴走して時には、ギヤーをニュートラルに入れようにしなさい」と。エンジンブレーキが使えなくなるのでこれほど危険なことはないと思い、調べてみた。なんとトヨタの高級車には設計上の大問題を抱えている。私が乗っているドイツ車は、ブレーキを踏むとフューエル・カットし、減速とともにシフトダウンしエンジンブレーキがかかる。しかも、高速になると、ブレーキシューとディスクプレートとの間隔が狭まり、ブレーキがきく時間を短くする機構になっている。ドイツ車は「走るより止める」ことを優先した設計がされているが、レクサスでは、このような設計上の考え方がなかったようだ。Twitterの情報によると、レクサスの設計者が「Dual Clutch Transmissionを採用しておけばよかったが余裕がなかった」と告白しているようだ。

「品質は設計で作り込め」は、昔から品質管理に携わる人たちの定石だった。残念ながら、トヨタ レクサスではこれが生かされなかったようだ。いま現在アメリカで放送しているレクサスのコマーシャルに対してのアメリカ人の受け止め方は冷たく、Twitterで一目瞭然だ。