日本@世界
個人の能力 最大限生かす社会を
リスク恐れぬ精神 活性化のカギ
船橋 洋一(編集委員)
情報技術(IT)革命によって世界が見る見るうちに一つになってゆく。グローバリゼーションの大波が世界中に押し寄せ、どの社会もそこから逃れることは出来ない。それによってこれまで想像もできなかったような新世界が生まれつつある。幾重にも立ちはだかっていた様々な壁ーー国籍、国境、コスト、年齢、性別、階層などーーを飛び越えて、個人がインターネットを通じて直接世界とアクセスし、世界とネットワークすることで、新たな表現、取引手段を手にする。それによってアイデアと世界市場に参入する。個人のフロンティアが一気に広がり、時と場合によっては個人の力がこれまでの何乗にも何十乗にもふくらむ。
米国政府が国連分担金の未払い分をいつまでも支払えないのに、CNNの創設者、テッド・ターナーは十億ドルを国連に寄付すると発表した。マイクロソフトの創設者、ビル・ゲイツの財団は米国政府のパソコンの学校支給をはるかに上回るスピードでパソコンを教室に無料で送っている。個人がとてつもない力を発揮できる時代がやってきた。
そうなるとこれからは、個々人の個性と特質と能力とやる気がモノを言う。どの国も、国民個々人の力を思う存分発揮させること(エンパワーメント)が重要な政策課題になるだろう。そのために、学校も企業も政府も、社会も経済も政治も、新たな仕組みと運営の方法を作りあげなければならない。
同時に、急激なグローバリゼーションは、その画一化に対する文化的反動を生み、貧富の格差拡大をもたらし、それに対する貧しい階層と貧しい国の反乱を引き起こす危険性が強い。
ただ、そのマイナス面を認識し、克服するためにも、世界の他の社会の人々とグローバルに協力していくことが不可欠となる。グローバリゼーションの挑戦にこたえるにはグローバリゼーションを上手に使うことが要請される。
<「画一化」への不安>
今月初め、米国シアトルで開かれた世界貿易機関(WTO)閣僚会議の際の世界のNGOによる反自由貿易包囲網と反グローバリゼーションデモは、21世紀国際政治の前兆であるかも知れない。
それは、1980年代の「市場原理」至上主義と冷戦後の「歴史の終えん」、さらにはインターネット革命によるドット・コム世界村ビジョンを根底から揺さぶった。市場と民主主義と技術を世界大に押し広げていけば、民族、文化、歴史、地理をめぐる矛盾とかっとうは克服されるはずだとするひところの楽観主義は後退した。
シアトルの反WTOデモの特色は、グローバリゼーションに対する不安や反発の散乱する多様さだったが、それらを貫く情念は画一化への反乱だったろう。
遺伝子組み替え食品だろうが、巨大ショッピング・モールだろうが、ハリウッド映画だろうが、画一化というその一点で、それぞれの社会と文化の多様性が削ぎ落とされていくことへの不安が広がっている。自分のかけがえのない労働価値を外国の安い賃金水準まで還元される、つまりは労働をコモディティ(単一商品)へと画一化することに対する反発がある。
もう一つの大きな問題はこれらの不安を表現する政治的回路が不十分なことだ。
「情報はグローバル化している。個人はそれによりエンパワーメント化している。自分たちも中に入れてくれ、自分たちの言うことも聞いて欲しいと彼ら(デモ隊)は叫んでいる」
クリントン大統領のこの発言は重要な点を突いている。この点は、グローバリゼーションに対する最大の批判となっている貧富と所得の格差拡大批判と関係する。
かってケネディ米大統領は「水かさが増せば、すべてのボートが浮かぶ」との”水かさ哲学”を披露したことがある。経済成長はすべての国民の生活水準を引き上げる、という哲学である。
<情報得て不公平論>
しかし、いまはコフィー・アナン国連事務総長が言うように、「水かさが増しても浮かぶのはヨットだけ」という傾向が強まっている。景気がよく、世界貿易が盛んでも、所得の高い階層だけが潤い、所得の低い階層は沈んでいく。
専門家の間では、所得格差はグローバリゼーションよりむしろ情報技術(IT)革命によるとの見方が強い。IT中心経済では所得水準は教育水準にますます連動、比例して決まるためだ。
それでもどの国もグローバリゼーションの「勝ち組」「負け組」論が早くも政治争点となりつつある。
それは、中国でも熱気のこもった議論を呼んでいた。この秋、北京で会った胡鞍鋼中国科学院国情研究中心主任研究員は、次のように言った。
「90年代後半から東の沿岸部と西の内陸部の所得格差が再び広がってきた。それに伴って、勝ち組と負け組がはっきりと出てきた。大学卒の青年、外国企業に就職した人々、個人経営者は勝ち組、失業者、中年・老年、未熟労働者は負け組。国営企業では男性は40代以上、女性では35歳以上は負け組。中国のWTO加盟でこの断絶はさらにひどくなるだろう」
「沿海と内陸の政治的参画度の不公平も問題だ。よく、毛沢東時代は内陸部への所得移転、再配分をしていたと言われるが、あの時代も所得格差は拡大していた。ただ、毛沢東時代は内陸・貧困地帯の人々は外のことを知らなかった。しかし、いまは彼らもメディアの発達で外のことを知っている。心理的な不公平感が強まっている」
メディアの発達で、貧困層の不公平感は世界大で増大しているに違いない。
<能力主義の推進を>
ところで、日本。日本はグローバリゼーションの挑戦にどう対処するべきなのか。
グローバリゼーションの波はインターネットの急速な普及で日本をも浸し始めた。それは通信回線コスト、起業コスト、起債コスト、ネットワークコストなどを低下させつつある。
しかし、日本の論議で欠けているのは、個人の力をどのようにつけるのか、引き出すのかというエンパワーメントの視点だ。日本では政府も企業も各種の再生プランを出すのに忙しいが、この点を十分に考慮に入れていないのではないか。
エンパワーメントに弾みをつけるには、リスクを取ることを恐れないリスク精神を尊重し、真の能力主義と真の公平を推進しなければならない。しかし、この点、日本は極端な「リスク回避」型社会をつくってきた。それは合意至上主義と仲間外れ恐怖症と合わさり、戦後の政治文化ともビジネス文化ともなった。
宮沢喜一蔵相はこの秋、グリーンスパン米連邦準備制度理事会議長と会談した際、グリーンスパン議長に「日本の経済の最大の問題は人々のリスク恐怖症だと思う。日本の誇る巨大な貯蓄も、要はこのリスク恐怖症のあらわれではないのか」と指摘された。
「投資は投機とあえて割り切る、リッチになるのを恥ずかしがらない、そういう日本にならないと」。宮沢氏は私に言ったが、このあたりに日本活性化のカギが潜んでいるのだろう。「骨身を惜しまないこと(painstaking)」から「リスクを取ること(risktaking)」への頭の切り替えだ。
先の胡鞍鋼氏は「いまの中国には教育革命、知識革命、情報革命の三つが必要だ。これからの時代、「知情権」(情報を知る権利)を国民に与えなければならないからだ」と言った後で、付け加えた。
「インターネットを国民に与えることで、人々が世界の情報に接し、それを活用することができるようにする。宣伝部門のコントロールを受けない。それが人々の選択を広げるのだ」
それを聞きながら、これは日本にも当てはまる課題だと私は思った。
シンガポールで聞いたリー・クアンユー上級相の次の発言にも考えさせられた。
「日本はレゴ(組み立てがん具)のような国だ。それらは寸分の違いもなく規格化され、あまりにもがっちりした組織をつくってしまう。これからは日本に難しい時代になるだろう。どの社会も個人の力を最大限引き出さなければならない。世界中の才能を使わなければならない。それらがレゴにうまく入るだろうか」
グローバリゼーションの光と陰を見極め、陰の部分への対応を怠らないようにする、文化的多様性を損なわないように努める、ITをはじめ情報・インターネットの教育水準、職業訓練を向上させる、世界の貧しい国をもっと支援するーーそれらがこれから大きな政策課題になるはずだ。
しかし、まずは日本の社会の中の個人の力を最大限引き出し、伸ばし、生かす。リスクを恐れない個人に活躍の場を与えることである。それによってグローバリゼーションの大波を泳ぎきらなかればならない。
(朝日新聞 1999/12/29)
日本に関してはいまも同じことが言える。いったいこの十年間何をしてきたのだろうか。道路、ダム、空港、港湾など公共投資に明け暮れた。個人の力を引き出すどころか殺していたのではないか。情報インフラが整ったにもかかわらず、情報技術面で世界をリードするものは何も生まれなかった。画質の良いテレビを作ることや任天堂のテレビゲームができたぐらいだ。どこか間違った路線を走っているように思えてならない。
中国は、インターネット技術を国民に開放したが、またもや制限しはじめた。真の民主化を恐れる国にとっては、インターネットは大きな障害になる。グローバリゼーションによる経済的貢献を享受したが、真の民主化は拒否せざるを得ない国でもある。